心配事や悩み事が多く、いつも溜め息ばかりついているという人はすごく多いのではないか。
僕も心配事はなるべくしないように心掛けているが、それでも心配なものはやっぱり心配。
でも余計な心配ばかりしていると、やがて心労により健康を害してしまう恐れも……。
そこで今回は、心がスッと楽になるようなタイトルの本を一冊ご紹介してみたいと思う。
紹介する本は「心配事の9割は起こらないー枡野俊明」。
タイトルを聞いただけで気持ちが軽くなってきそうである。
この本を読んだら、人はいかに余計な心配事をして毎日を過ごしているのかがわかる。
ただし本の内容は、心配事が9割起こらない根拠が直接綴られているわけではない。
むしろ9割のことには何も触れていないので、そこを期待して読まないほうがいいだろう。
とはいえ、実際に読めば直接は綴られていなくても読み取ってほしいという著者の想いを感じることができるはずである。
それでは、以下に僕のお気に入りの箇所をいくつか抜粋してみたいと思う。
心配事の9割は起こらない〜枡野俊明
持ち物を減らす◆すると、心も身体も軽くなる
- 一度手に入れた物はなかなか手放せない・・・・・・。程度の差はあっても、みなさん、誰もが持っている感覚でしょう。実は、そのことが悩みのタネにもなっています。
- 「ひとつ捨てることは、執着からひとつ離れること」
- 三年間、見向きもしなかった洋服をもう一度着る機会がその先に訪れると思いますか?五年間、使うことがなかったバックをふたたび手にすることがあるでしょうか?答えは例外なく、「ノー」だと思うのです。
- 捨てるべき物を捨てて、スペースが広がった部屋は、ずっと快適性がアップして、日々の暮らしが心地よくなります。それが身体にも心にもよい影響をもたらす
「部屋の乱れは心の乱れ」なんて言葉を耳にしたことがあるが、まさにその通りではないか。
心身ともに健康であるために、快適性を重視した部屋での暮らしを心掛けたい。
夜は静かに過ごす◆大事な判断を夜中にしてはいけない
昼間は仕事の忙しさの中で影をひそめていた不安や悩み、心配事が、夜になると全輪郭をあざやかにしてくる……いったん、そのことに心がとらわれたら、振り払うのは大変です。
〜〜中略〜〜
眠れぬ夜を過ごして、朝、差し込んでくる陽光のもとで考えたら、「なんだ、たいした問題ではないじゃないか。なんであんなに悶々としちゃったのかな?」という経験がみなさんにもあるのではないでしょうか。物事の判断も夜にすると誤りがちです。
しかも、判断をするためにさまざまな考えを巡らせると、脳が活性化してなかなか眠りにつけなくなったりします。ですから、できるだけ「なにかを判断する状況をつくらない」のが、心静かに夜を過ごすコツといっていいでしょう。
僕も夜になるとついつい考えすぎてしまう節がある。それで失敗した経験も色々とあるため、今は夜にできるだけ好きなことしかせずに過ごすようにしている。
考えすぎて眠れなくなるよりは「明日考えればいいや」くらいの気持ちで夜を楽しめば良いのではないか。
眠る時もできるだけ楽しい事だけを考えながら、スッと眠りにつくことが大切だと思う。
簡単に逃げない◆失敗したって、命までとられるわけじゃない
- 失敗したって、なにも命までとられるわけではない。開き直るのではなく、そのくらいに腹をくくってかまえていたらどうでしょう。
- 仮に解雇になったとしても、本来の姿に戻っただけ、振り出しに戻っただけのことなのです。そこから始めるだけの力は誰にでも備わっています。
- 「世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめたときが失敗である」。
やってみたいことがあるならそこにチャレンジしてみるべきだし、自分に納得がいくまでは諦めるべきではないと僕は思う。
ベタなセリフだけど、バッターボックスに立たない限りバットは振れないから。
損得で判断しない◆打算のない人間関係こそやがて輝く
- 損得勘定を人間関係の「前提」にしてはいけない
- 「損得」ものさしを捨てれば、人生で大事なことがはっきりと見えてきます。
自分に有益な人と付き合いたいと思うのは自然な考えだと思う。
ただ、社会では自分に有益な人とばかり付き合うことは難しいし、そもそも誰が有益で誰が無益かなんていった区別はそう簡単につかないものではないか。
どうにもならないことに心を注がない
- 自分ではどうにもならないことは、そのまま、あるがままに受け取っておけばいい
- どうにもならないことなのですから、受け入れる以外の方策はありません。じたばたしようが、しまいが、それしかないのです。ならば、「あっさり」受け入れませんか?
〜〜中略〜〜
心を向けるべきはそこではなく、「どうにかなる」ことのほうです。
Appleの5代目CEOであるギル・アメリオの「自分の力でどうにもならないことは、心配しても意味がない。」という言葉を思い出した。
「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがあるように、やるべきことをやったなら、あとは天の意思に任せるだけである。
余計なことを調べない
健康のためになにかをしようと考えたとします。「ちょっと情報を集めてみるか」とネットで検索すれば、たちまちすさまじい量の情報が押し寄せてきます。
その結果、「これもよさそうだし、こっちも効果がありそう。なになに、こんなものもあるのか。いや、これも捨てがたいぞ……」と、あまりに選択肢が多すぎて、判断に迷ってしまう。
ネットには誤った情報も多いので、情報の取捨選択をできるようにならないといけないと思う。それができればネットは非常に便利なツールだ。
ここで言う余計な事を調べないというのは、調べる内容にもよるのではないか。
例えば風邪を引いたときに関節の節々が痛むときがある。そこで「関節が痛い」と検索するだけで、たちまちに色々な疑われる病気を知ることができる。
それが的確な場合もあるので一概に否定はできないが、ただの風邪なのに重い病気かもしれないと過度の不安に陥ってしまうくらいなら、はじめから検索しないほうがいい。
どうしても心配なことがあるならネットで検索するより早めに病院を受診することをお勧めする。その結果、何もなければ安心できるし、もし問題が見つかれば対処するまでだ。不安になってしまう気持ちは分かるが、自分の妄想だけで気を揉むのはあまり良いことではない。
「死ぬ」ことは、仏様にお任せすればいい
人間はいつ死んでもいいと思うのが、悟りやと思うておった。ところがそれは間違いやった。
平気で生きていることが、悟りやった。平気で生きておることは難しい。死ぬときがきたら死んだらいいんや。平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいいんや。
遅かれ早かれ、死は誰にでも必ず訪れる。
どうせいつか死ぬなら、元気に生きていられる間は平気に生きて、楽しい事ややりたい事に没頭すればいい。
いつも死ぬことばかり考えて不安になっていたら心がいくつあっても足りない。
それよりも、生かされている今という時間を一生懸命楽しく生きることが大切である。
ひとこと
いかがだろうか。
余計な心配や悩みを抱えないための考え方や身の振り方、シンプルに生きるための「人生のコツ」がそこには書かれていた。
身の周りをキレイにして、夜はできるだけ判断をせず、穏やかに過ごすこと。
損得勘定をやめ、物事から簡単に逃げずにチャレンジすること。
どうにもならないことに心を注がないこと。
余計な事を調べないこと。
平気で生きること。
常に心がけておきたいと思う!
ではまた!